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表記と表現 [作文のチカラ]

「うちの子は作文が書けません」とよく聞く。
ここで考えねばならないのが、『作文を書く』に含まれる2つの要素だ。
要素の1つは「表記能力」。そしてもう1つが「表現能力」。

「表記能力」は、正しく記述する能力を指す。
句読点や「」の打ち方、原稿用紙の使い方、助詞、主述の整合性。
作文を読んだとき、最初に目に付くところだ。
人は、間違いを見つけるように子どもの頃からしつけられているから、
まずそこを問う。
内容よりも、ミスを指摘する。 語られたものよりも、語られた「カタチ」を評価するのだ。

よって、作文指導は、この表記能力を高める指導であると思われがちである。
間違いのない、読みやすい文章を書くことをねらう指導だ。
事実、文章は「他者に自分の考えを伝えること」を目的にしているから
表記能力は欠かすことのできない力であるといっても、間違いはない。
学校で行われる指導も、まず表記能力をつけることをねらいにしているように思う。

 

表記能力がある程度つくと、どんなテーマでもそれなりのことが書けるようになる。
ちなみに、「アイスクリームのおいしさ」を題にして、原稿用紙3枚以上書けと言われたとしよう。
ある程度の表記能力を持った人なら、朝飯前である。
流麗な文章で、アイスクリームの味わい、食感、種類の豊かさ、まつわる思い出、
どんなふうにでも展開して、書き続けていくことができる。

美しい文章。ミスのない文章。
しかし、1200字を費やして書かれているのは、「アイスクリームはおいしい」だけである。
いかに言葉を飾ろうと、多方向からアイスクリームを見ようと、
書かれたことは一つだけ。「アイスクリームはおいしい」。

 

読みやすくて言葉の使い方がうまい文章が、何よりも勝るとは限らない。
語るべきことを持たない文章は、スカスカで軽い印象を読み手に与える。
軽い文章は読み捨てられる。誰の心にも残らない。
そんな文章で満足していては、先に進むことはできない。

美しく飾られた、しかし何も語っていない文章と、
伝えたいことを、その人が持つ精一杯の言葉で書いたものとを、読み比べてみるといい。
たとえ漢字のミスがあり、「。」が抜け落ちている文章であっても、
体の奥から導き出された言葉や感覚を使った文章の方が、
中身の濃い、読むべき価値を持っていると私は思う。

 

そもそも子ども達は、発展の途上にある存在である。
「いま」、完成形である必要なんてないのである。
10年後、20年後に、身につけた「書く力」が自己表現の武器となり、
目標に近づく手立てとなれるよう、「いま」があればよいはずだ。

何を語るか。何をどう考えるか。
それが「表現能力」の基礎となる。
表記能力に比べて、こちらを伸ばすのは容易くはないし、時間もかかる。
だからこそ、「いま」、目に付く記述の間違いに目くじらを立てるのではなくて、
何をどんな言葉で書き表したか、物事をどう見ようとしたかに着目して
文章を受け止めていくべきではないかと思っている。

「表記」と「表現」。
とりあえずはこの2つのキーワードを基に、『作文』の持つチカラを考えてみたいと思う。


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