今、必要なことを [課題―意見文]
今週・先週は、ディベート&意見文ウィーク。 多くのクラスで意見文に取り組んだ。
1時間目は討論のみ、2時間目に作文。
今回のテーマは、『おにぎりとサンドイッチ、どちらがよいか』
『休日は出かけるほうがいいか、家でゆっくりするほうがいいか』 『新聞は必要か』 などである。
作文の際は、理由を羅列するのではなく、その証拠となる例や説明をつけてほしいと伝えた。
読み手を説得するために書くのだ。
メモのように考えを連ねるだけでは、相手をうなずかせることはできない。
一番オーソドックスな型は、
最初に「ぼくはAよりBの方がいいと思う」と自分の立場を明らかにし
次に理由のいくつかを例を挙げながら伝え (なぜなら、~だからだ。たとえば、~のように・・・)
最後に、「このように、Bの方が・・・である」「よって、ぼくはAよりBの方がいいと思うのだ」などのように
自分の考え(立場)を再度アピールして終える。
理由は、一つの観点で少なくとも5行程度は述べるといい。
二つの立場を比較するように書いたり、例を挙げて詳細に伝えたりすれば
そのくらいの分量は必要になる。
と、いいつつ、長い間作文指導をしていると、ついつい型通りのものではもの足りなくなってしまう。
もう少し『論ずる』ことはできないか、と考えてしまう。
人は、社会では、と一般化しつつも、体験を素材として「我がこと」を語るなど、
型通りの進め方でないものは、いくらでもある。
それに、ほんの少し背伸びをして書いてみることで、
今までとは違ったエッセンスを文章に組み入れることもできる。
そう思うと、ついつい欲を出して、「論ぜよ!」と働きかけてしまう。
子どもたちは、私の働きかけによく応えて、それぞれに「論ずる」つもりで書いてくれる。
ぴんとこなくても、こういうことかな? とそれぞれの解釈で挑んでくれる。
それらの記述に、はっとすることも多い。
論じている文章も、ちゃんとある。
しかし、型は読み手の理解を得やすいものでもあるのだ。
それをおろそかにしてはならない。
自分が子どもよりも先に飽きてしまってはいけないのだ。
型を習得できる子なら、そこから抜け出していくことも、もちろんできる。
あわててはいけない。 飽きてはいけない。
この働きかけは、子ども達に必要なことなのか、それとも私に、なのか。
気をつけていないと、ごちゃまぜにしてしまう。
子ども達の柔軟性に頼りすぎてはいけない。
年度半ば、皆が力を伸ばしてくる時期だからこそ、私の気を引き締めなくてはならない、と思う。
コメント 0