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宮川俊彦先生の講義 [つれづれ]

今年も宮川俊彦先生の講座に参加してきました。
今年は、岐阜と名古屋の2か所で自分の講座を開いたためスケジュールがうまく調整できず
東京の講義ではなく、大阪の毎日インテシオでの講義に参加しました。

宮川先生の講義には毎年参加していますが
飽きることは全くありません。
むしろ、いつもはっとさせられて帰ってきます。


先生もちらっとおっしゃっていましたが、
作文指導が「正しく書く」ためのものなら、
そういうことは、校正をする人に任せておけばよいのです。
作文指導の本質は、正解を与えるところにはありません。

宮川先生がされているのは、作文教育ではなく、言語教育です。
世の中を、人を、出来事を、どう読んでいくかという視座の獲得を促します。
教室内でぱたぱた走り回っていた子どもたちも、
先生の講義には全身を目と耳にして、聴き入ります。
その様子は、魅入られているといってしまいたくなるほどです。

宮川先生は、1冊の分厚い本のようです。
一生かけて読んでも読み切れないくらいの情報量と思考の深さがあります。
子どもたちは、そのとてつもない本を前にして
かわいたスポンジが水をどんどん吸収していくように
言葉と思考の在り方を全部自分のものにしていこうとしていきます。

その様子をまざまざと見ているから、
私は毎年先生の所にお邪魔するのだろうと思います。
作文教育者は他にもいらっしゃいますし、
中には「いいな」と思う本をお書きになる先生もおいでですが
足を運びお会いして、その体から発せられる言葉を聴きたい、と思うのは
私には、宮川先生しかいません。

先生の本は多く出版されています。
しかし、本の中で語られていることは、先生のほんの一部でしかありません。
生身の体から発せられる声と気迫は、実際の講義でしか味わえないものです。
それに、先生が伝えようとされていることは、
「出版」というフィルターにかけられてしまうと、目減りするように思います。


人は有限の存在です。
先生も、私も、皆さんも、有限の中で生きています。
芥川龍之介、清少納言、アンデルセン、イソップ、
誰もが知っているこれらの人の言葉は、今でも読むことができますが
生身の体から発せられる言葉を聴けるのは、ほんのわずかの人たちだけです。

もし、言語教育に興味をお持ちの方がいらしたら、
ぜひ一度は宮川俊彦先生の講義をお受けになるとよいと思います。
「いつか」はないのです。
私たちは有限の存在だから、今動いて、自分の体を使って知らねば、財とならないのです。

自分の体を動かして、見たり聞いたりしたからこそ得られたものは私には多くあります。
ネットやテレビでは、体感できないものがこの世界にはあります。

本当に、チャンスがあるなら、ぜひ一度足をお運びください。
「宮川先生ではなく、私の講義を受ければよい」と言いたいところですが
あれほどの情報と時間と知識と深い分析、残念ながら私は遠く及びません。
精進してはいるものの、比べることさえおこがましいように思います。

大人だとか、子どもだとかは関係なく、どのかたも、
本物の言語教育を受けるチャンスを、今、手にされることをお勧めします。

東京の竹橋駅、パレスサイドビルでの夏の講座は、8月いっぱい行われるそうです。


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