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テーマに切り込むヒント [課題―テーマ作文]

「えんぴつを持って、紙に向かったら、あなたが作者。
語りたいテーマを持って書いて!」
と教室生によく言います。

感想文でも同じこと。
本を書いたのは別の人ですが、
その本について書くとなったら、作者はあなた。
本の作者のテーマとは別に、自分なりの語りたいテーマを持って
文章に臨むべきだと伝えています。

では、定めたテーマをどう掘り下げるか。
ここも大切です。
ですから、ときに教室では、
シンプルな言葉をテーマに作文に挑みます。


まず、作文を書き始める前に、皆で「攻め方」を考えてみます。

たとえば「箱」なら、

①形状をとらえる
②箱の代表的なものを挙げてみる
③箱にまつわる思い出を探す
④誰の「箱」か、所有者を決めて考える
⑤箱から生まれる動詞を挙げる
⑥箱と対極にあるもの、もしくは同類のものを考えてみる
⑦見えないものの中に「箱」をあえて見てみる
⑧箱の機能、箱の力、箱が持つ価値について考える

①~④あたりは、どの人も「ふ~ん」という顔ですが、
⑤以降を始めると、
「ああ、そんな考え方もあったのか」「それ、おもしろそう、ちょっと書いてみたい」
という顔をし始めます。


たとえば、動詞。
しまう、あける、とっておく、よけておく、保存する、保管する、見えなくする、隠す、
積む、重ねる、忘れる、出す、つぶす、じゃまになる、ためる、すてる、
中を見たくなる、見せたくない、そのままの状態を保つ、伝承する、
外界と区切る、いつでも取り出せる 。

ここからヒントを得て、
貯金箱は貯める、でもお金だけじゃない。
お金と一緒に別のものも貯めている。
この先の自由。自由を楽しむ未来。
貯金箱の中には、お金と自由がつまっている。

そんな作文を書いた子がいます。


たとえば、見えないもの。
時代の箱、進化の箱。国も箱の一つ。クラスも。家族も。

そんなことを話していたら、
「ぼくたちは箱の中でくらしている。」
の一文から始めた人がいました。
この箱は、家であり、家族であり、この世界であり・・・。
出入り自由で鍵もかかっていないけど、
それもみな箱の中。
そして箱の中に住むぼくたちの中にも「心の箱」という箱があって
はずかしいときには鍵をかけ、安心すると鍵をあける。

結びは、
「みんなは、箱に入っている。箱はみんなをおさめている。
だから箱というものはみんなより上だ。」
とあります。

この作文を読んだ中学生は
結びの一文に何か言いたそうな顔をしました。
読み手に「何かちょっと言いたい」と思わせる文章を書いたということです。
ツッコミであろうが、感嘆であろうが、
「言いたくなる」文章を書けるというのは、力があるということ。
隙のない文章を書くことが目的ではありません。

「似たもの」をヒントにした生徒もいました。
全ての箱は、タイムカプセルだ、と彼は言います。
何年か後に出すか、筆箱のように何分か後に出すかの違いで、
どの箱も「タイムカプセル」の面を持っていると彼は見ました。

「しかし、違うかもしれない」と、彼は考えます。
ここが大事なところ。
今述べたことが真実だと、文章の最後まで押し切ってしまうのではなく、
一度は疑いの目で検証してみるのです。
文章に客観性を与えられるので、ぜひやってみて、といつも皆に求めています。

彼が疑いの目を向けたのは、「漬物」でした。
箱(壷)の中で漬物は変化します。
他のタイムカプセルである箱は、現状保存を目指しているのに
これは違う、と考えたのでしょう。
しかし、漬物は人の手により、わざと変化するようしたもので
タイムカプセルに入れたものも、多少は変化しているのだから
漬物を入れた箱(壷)も、タイムカプセルなのだ、と締めました。

ここで、箱の中で進む時間と外の時間について考えてみたりすると
また広がりが出たのでしょうが、
残念ながら終わりの時間となりました。


どの作文も、迷走したりつじつまがあわなかったりの部分を持っていますが、
それでいいのです。
教室での作文は、挑戦の作文。
「語るのは難しい」と避けてきたことに、あえて挑む場所なのです。

どの人の作文も挑戦に満ちていました。
この挑戦が、将来、形を整えた作文に挑むときに生きるのです。
「××とは何か。」
定義づけ、検証し、本質を明らかにする。
感想文にこんな部分があったら、引き込まれますよね。
みんなに挑んでもらいたいと思っています。


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1+1=2・・・じゃない [課題―テーマ作文]

1+1=2

でも、そう決まったわけじゃない。

考えを広げる・深めるために、「疑いなさい」とよく言う。
当たり前だと思い込んでいることを、当たり前とは思わない。
そうではないかも? と疑ってみることから、考えることは始まる。

1+1=2。  でも、これはある条件のもとでのこと。

「1+1=2、そんなのあったりまえ!」という子達に、
「じゃあ、1が翔太くんで、1がリンゴだったら? 足すことはできる?」と返す。

もちろん、足せない。人とリンゴは足せない。
みんな「いやなこと言うなぁ、先生」という顔になる。


考えを深めるために、まずするとよいことは
テーマである「1+1は、はたして2か?」の中に含まれる要素と定義を捉えることだ。



たとえば、「足す」が示すものを幅広く捉えてみる。
2つのものがあった場合に起きうることを挙げてみればいい。

合わせる・付け足す・ひっつける・加える・食べる・飲み込む・切る・分ける・焼く・使う・利用する・つぶす・うめる・なくす・腐らせる・放置する・蹴る・投げる・転がす・贈る・しまう・・・・・・

 

もしも1が翔太くんで、1がリンゴなら。

・翔太君がリンゴを食べてしまったら、1+1=1
・翔太君がリンゴを使ってパイを焼き、それをみんなに分けたら1+1=8くらい?
・翔太君はリンゴ嫌いで、食べずにそのまま放っておいたら腐ってしまい、
 その悪臭に耐えかねて家族で引っ越したら1+1=0
・翔太君はリンゴでジュースを作って、それを皆に売り、もうけたお金でリンゴをまた買ったら
 1+1=10
・翔太君がリンゴを食べた後、その種を土に蒔いて芽が出て木になり実がなったら
 1+1=100?
・100年後には、翔太君もリンゴもこの世にはない。1+1=0

馬鹿げていて結構。
正しいかどうかが問題ではない。
大切なのは、テーマに含まれる要素を抽出し、その意味するところを分析すること、
そして、それを重ね合わせていくつかの場合(場面)を設定して考えていくことだ。


分かりやすいように「1」を人とリンゴで話したが、
これが人と人だったら、また違う展開が見える。

 

私が導入時に働きかけていることは、主に上のようなことだ。
「当たり前」に別の方向から光を当て、違った影を見せる。
それが、子ども達の「あ、そうか」というひらめきに繋がっていく。

整理して書けば、下のようになる。

1 本当にそうなの? と疑ってみる。
2 テーマに含まれる要素(人・物・場・概念)を挙げる
3 各々の要素が持つ資質・象徴するもの・起こしうるもの等を挙げる。
4 それぞれを組み合わせて「もしも?」「たとえば?」と展開する


もちろん、これを一度で習得せよ、とはいえない。そういうものではない。
だから、気は長く。テーマを変えて、何度でも。
気付けば大木に育っている。


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二分化しない [課題―テーマ作文]

意見文を書く際、簡単に書き始められる方法として
「イエスかノーか」で語れる命題を作る、というものがあります。

例えば、『化粧』というテーマを与えられたとしたら
「中高生が化粧することはよいか・悪いか」
「男性が化粧することはよいか・悪いか」
などのような、是非を問うテーマに置き換えてみるのです。

この方法を使えば、テーマを自分の得意分野に引き込んで書けますし
論点がはっきりしているので、わかりやすく文章をつづることができます。


しかし、何かの本質を探ろうとするときに
「よい・わるい」「正しい・間違っている」「得・損」などに二分して語るだけで
果たして十分なのでしょうか。

速く・正しく答えるのが「よし」とされている現在です。
ですから、とりかかりやすい、この二分化手法をとる人は多くいます。

だからこそ、この教室で書く作文くらいは、
テーマを正誤で捉えず、
得か損かで善し悪しを決めず、
「それは何か」を考えることをしてみてほしいと思っています。


先に挙げた「化粧」なら
「オレは男だから化粧のことはわからん」ですませません。
「オレも化粧しているのでは?」と考えるところから始めます。


人の化粧は顔だけに施すものではありません。
言葉や態度、ちょっとした仕草にも、「化粧」と同質のものはあります。

服、かばん、歩き方、うなずきの中に見られる化粧。
植物の化粧。動物の化粧。そして、街の化粧。
あるいは、己の代名詞としての化粧(イモトさんの眉のような)。

化粧は自分を見せる手段なのだから、己をどう解釈しているかも現れます。
己を読み違えれば、化粧は素材の良さを損なう。
うまく読めば、素材以上のものを引き立てる。


また、化粧は見せる相手の読解でもあります。
見せる場所。見せる人との距離。
どう魅せるか。どう表現するか。

男性もスーツや言葉で化粧します。いや、武装するのかもしれません。
化粧から武装へ、あるいは仮面へ、化けることと化かすこと、
類語や対語も出しながら、「化粧」が意味するものを読み解いていきます。



答えやゴールを安易に定めず、「それは何か」を考えていく。
書くことはそのためにあります。
たとえ途中で破綻してしまっても、挑んだことは力になります。

決して易しいことではありません。
それがわかっているからこそ、
生徒が書いた作文を「上手にまとめた」という観点で見られないのです。
何を見つめて、何を語ろうとしたか。
言葉になっていない部分までをも見通して返さねばならない、
そう思っています。


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春になると [課題―テーマ作文]

新年度が始まりました。

今年度はどんな課題から始めようかとあれこれ考えているうちに、そうだ、基本の課題をもう一度やってみよう、と思い立ちました。
新入室の人がいるからでもありますが、長年やっている人達にも、もう一度大切なことを伝えなおしておきたいと思ったからです。


そこで、今週やってみた課題は『春になると』。
春になると、周囲にどんな変化が訪れるかを探してみよう、という課題です。

文章は、ただ間違いなく書くことだけが目的ではありません。
うまく、ミスなく書くことだけなら誰でもできます。
それを厚みのある文章にするには、普段の生活の中での観察力を高めることが大切です。

春の姿は自然の中に多く見られますが、私たちの家の中にも・・・たとえば、床にも、くつにも、はぶらしにも春はみつけることができます。
床に足を置いたときに、ひやっとしなくなったとか、口をゆすぐときに、湯が出るまで水を出しっぱなしにしなくてもよくなったとか・・・。

もちろん、人にも春は来ます。授業では、「弟が『○○やろ~』と誘ってこなくなった。自転車に乗って、ぐるぐる回って遊んでいる」や、「春の光はまぶしすぎて、なんかイライラする」などの気づきが出てきました。

身近なところに目を向けたら、少し遠くのものにも注意を向けます。テレビのCM、スーパーのディスプレイ、電車に乗る人達、吊り広告・・・。
季節の変わり目に起きることをどんどん探していきます。卒業式・入学式・お花見などの行事には経済効果もありますから、商品に目を向ければいくつも見つけ出せるはずです。


朝から夜寝るまで、自分のすること全てに春は来ます。そして、あらゆる場所に春は来ています。
それらの変化を見つけるには、「見ているけれど見ていない」状態から、「注意深くものを見つめる」状態に変えていけばいいのです。
観察眼を育てること。作文を豊かにする秘訣のひとつだと思っています。



今回、皆にこの課題をやってもらって気づいたことがあります。
在籍年数によって、書き方に違いがあるようなのです。これはどちらかが良い/悪いということではありません。アプローチの仕方が若干違う、というだけの意味です。


入室間もない人達は、たくさんの変化をどんどん並べていきます。
リズムよく、ときどきハッと人をひきつける言葉を使って。春らしく躍動感にあふれています。

長年来てくれている人達はというと、こちらが何も言わないのに、一つの視点を掘り下げて書く人が多いように感じました。
もう、「なんでも書けばいい」とは思わないのですね。
これは、という視点だけを選び、それを深く細やかに書いていきたいようです。
全文通して「春のわくわく」が引き立つように書いた人もいれば、「春の雨」だけをテーマに書いた人も。

どちらの書き方でも、皆が「自分だけが見つけた春」を書いてくれました。
「桜が咲く」という変化も、「私が見た桜」は、他の桜とは違いがあります。
その違いを、「私」というフィルターを通して書くとこうなるよ、というものをたくさん読ませてもらいました。


紙上で春が踊っているかのようでした。


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『夢』作文 [課題―テーマ作文]

コメント書きを中断して、このブログを書いている。
作文は、授業内に添削、コメントをつけて返すようにしているが
2週続きで取り組んだ意見文やテーマ作文の場合は、
練りこんだ、深い内容になることがほとんどだ。
そういうときは、一旦預かってじっくり読み、コメント(というか、感想文)をつけて返すことが多い。

 

今回のテーマは「夢」。 ある生徒が「学校の作文のテーマ」と言って持ってきた。
そういえば、私が初めて勤めた職場の2次試験(作文)のテーマが「夢」だった。
書いた内容は覚えていないが、それほど満足した出来ではなかったように思う。
懐かしいなぁ(いや違う、悔しいなぁ)、と思ったので、上級クラスでやってみることにした。

 

「夢」というと、何も指示されていないのに『将来の』をつけて考えてしまう。
もちろん、将来の夢を誇らかに語るのも悪くないが
中学生だと、「(今のところ)夢なんてない」という人もいる。
なぜ、夢がないように思えるのか。
そもそも、「夢」とは何か。 何を「夢」と呼んでいるのか。
夢の作用、夢の形、夢が与えるもの・奪うもの、夢がないなら、自分は何を見ているのか・・・?

「夢」と名づけているものについて考えることと、自分のこの先を見つめていくこと。
まずはそこから始めてみる。 

テーマは、自分を語るための切り口。 「問題」ではない。
答えを書こうとせず、今の自分を見つめて語りたいことを得るのが大事だと私は考えている。

 

導入時に心がけるのは、『夢を持って生きなさい』と導かないこと。 それは自分で知るべきことだ。
ただ、私がどう生きてきたか、夢をどう傍に置いているかは話していく。
「教える」のではなく、「語る」と子どもたちは耳を傾けてくれる。 
嘘を言わず、自分を飾らず。 できるだけそのままを言う。
導入はとても苦しい。 話していると、自分の薄さを感じてしまうことがある。
でも、飾らない。 とはいえ、卑下はしない。 誇れることは誇る。 

「夢」を考えていると、そのうち『どう生きるか』という点に行き着く。
どう生きていきたいか。 それはどのテーマにおいても、私が子ども達に問いたいことだ。
そして、この教室をやめてからも、自分に問い続けてほしいと願っていることでもある。

 

作文は思った通り、深く沈みこんで書いたものあり、迷宮をさまよいながらも考え続けるものあり、の
力作ぞろいとなった。
こういう作文は、ちゃっちゃっ、とコメントをつけることができない。
作文を前に、熟考すること数十分。 これを何人も。
根を詰めすぎたために、鼻血が出ちゃうんじゃないかと思ったことさえある。

今日も、疲れて、頭がカスカスになってきたので一旦中断。
あと3人分、残っている。
渾身の作には、渾身のコメントを。 そうでなければ、書き手に失礼だから・・・ね。 


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