感想文3 『発し手となれ』 [課題―感想文]
夏期講座は先週で終了。 今週は通常クラスの本制作の仕上げに入っています。
今年の夏期講座も、生徒とよい時間を過ごすことができました。
いつもと違う自分のことばに、ニッカリと笑みを浮かべる人もいれば、
自信に満ちた目で見返してくる継続受講者もいました。
引越し先の東京・神戸から、お越しいただいた人も。 皆様本当にありがとうございます。
教室で得た自信が、彼らの心に蒔かれた種子となり、それぞれの生活の中で花開くことを願っています。
そしてまた、伸びた枝葉に栄養を与えるために、教室に戻ってきていただけたら大変嬉しく思います。
再会を心よりお待ちしております。
さて、感想文について、もう少し。
今年、感想文クラスに参加してもらった小学校高学年には、書く前にメモを作ってもらった。
「なぜ・もしも・自分にもある似た体験」などの、考えを掘り起こすためのキーワードを提示し、
ひらめきをメモにすることで、言語化してもらった。
もちろん、前回紹介した「なぜ、を3回繰り返し」その推移をメモに取っていくのである。
作ったメモを元に、何を、どの順で書くか、目標枚数に応じて各部の分量と筋を決めた。
そして、自分のメモを眺めながら、また、書く順を整理しながら、
今回のメモの中で、自分が最も気になっている言葉・考えに注目した。
本には「テーマ」がある。
伝えたいテーマがあるからこそ、筆者は一冊の本を書き上げられる。
感想文も同じ。 書く、となったらもう受け手ではいられない。
この文章で自分は何を語りたいのか。 読み手に何を伝えたいのか。
自分なりのテーマを持って、作文に臨んでほしいと伝えた。
『国とは何か』 『敵を助けるということ』 『私を支えるもの』
それぞれに、語っていきたいテーマを探した。
あらすじを書くだけでは、自分の思いは伝わらない。
「こう思った」と受け手としての反応を連ねるのから脱して
「こう思う」と意見を発する者となれ、と鼓舞した。
今すぐそれができなくてもいい。 しかし、意識して臨むことが今後に繋がる。
ものを書く以上は、発し手であろうとせねばならない。
『発し手となれ』
自分を語るためのキーワードとして、常に心に置いてくれればと願う。
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