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友、来たる。 [つれづれ]

先週末、韓国の友人が遊びに来ました。
ニュージーランドにいたときに知り合った人です。
名古屋のホテルに泊まるというので、
夏休みを取りそこなったことだし、この際私も名古屋に泊まって
一緒に旅行気分を味わうことにしました。

数年ぶりの再会でしたが、
彼女は相変わらず、彼女でした。
きっぷがよくて、迷いがなくて。
3年ほど前に、集中的に学んだ日本語を使いたいと彼女が言うので
会話はほとんど日本語でした。
片言の日本語と、英語と、ときに韓国語も交えながら
彼女が来月から始める新しい仕事について、
彼女が昔会った、私の生徒たちのその後について、
ああ、それから、韓国の大統領選についてなども話しました。
大統領選については、「日本語では話すのが難しい」と言って、
英語が主になりましたけど。

友人の尊敬すべき点の一つに、「相手に伝わるまで話し続ける」ということがあります。
言語が日本語だろうが英語だろうが、
自国語でない不便さがあっても、かまわずとにかく話そうとする。伝えようとする。
「正しい」言葉を探すより、伝わる道筋を探して言葉をつないでいくのですね。
だから、多少時間はかかっても、お互いに「話した」「聞いた」「通じた」満足感を得られます。

それから、トピック。
友人には「話したい」と思うことがあります。
それも強みです。
体験や知識を、人に伝える素材として用いることができる。
その素材から、自分の感じたことを言葉にすることができる。
当たり前なのですが、その当たり前が、「使いにくい言語」でやろうとすると
大きなハードルと感じられてしまうのではないかと思います。

しかし、これは他言語においてだけでなく、
自国の言葉においても、同じことが言えます。
日々、体験をして「いない」人はいませんが、
自分がした体験を「言葉にする価値はない」と思い込んでいる人は、わりと多くいます。
「べつに」「ふつー」なんていう言葉に置き換えてしまっている人ですね。
それで話は済むので楽ですが、
お互いを理解する試みとはなっていません。

教室での作文や討論をふと思い出し、
生徒には、彼女のような姿勢を持つ人になってほしい、と思いました。
語るべき素材を見つける目を持っている。
単語ですますのではなく、考えたことの全貌がちゃんと見える話し方ができる。
「伝わっていないな」と感じたら、他の道筋を試せる。
よい意味での「しつこさ」を持った人に、なってほしいと思いました。

休みだったはずなのに、結局そんなことをちらっと考えてしまいました。


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