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絵本の読解① 絵と装丁を分析 [課題―読解]

ブログ、作ります! と宣言したものの
先週末は体の調子をなぜか崩して起き上がることができなかった宇野です。
あああ、情けない。

とりあえず、新しいブログの登録はすませましたが
まだお見せできる状態ではないので、こちらは後日。
教室での講座について、先にこちらに書くことにしました。

金曜クラスではシェル・シルヴァスタインの「大きな木」を用いて読解をしました。
前のブログに書いたように、感想では終わってほしくなかったので
今回は
1 絵と装丁を分析
2 本文を分析
3 分析をもとに作文
の流れで授業を行いました。

常々、絵やタイトルからも読解してねと言っていますが
「言う」だけではなかなか実践はできないものです。
ですからちゃんと機会を設けてやってみよう、と考えました。
初回は絵と装丁から。
言葉に気を取られないように、原書を用意しました。

まずは表紙。
そこに描かれているものを見ます。
色と距離と空間、手と顔の表情。構図。見せているものと見せていないものをつかみます。
この絵本をご覧になった方はご存じだと思いますが
鮮やかな緑の装丁の中に、赤いリンゴが一つ、
木の腕のような枝から、まだ幼い少年へと落とされています。
少年の着ているズボンも赤です。赤はそれだけ。他は緑です。
緑と赤という補色の組み合わせ、
木と少年の距離、
木のてっぺんは見せずにいる構図、
これらはもちろん「わざと」です。
「わざと」なのだけれど、普段そんなことは気にしません。
ですからわざと、作者がしている「わざと」の中にどんな意図があるかを考えてみました。

同様に、中のページも見ていきます。
なぜ線だけで描かれているのか(色がないのか)
すべてのページに共通することは何か
ページが進むと何が変化していくか
気がつくことをどんどん言ってもらいました。

背景がないのは、世界が木と少年のふたりだけであることを言いたいからだとか
木には顔がないから枝が気持ちを知らせているとか
(だけどもしこれが日本の作家なら、木は不動で枝で表情を出したりしないと思う、とか)
少年はどのページも上を向いていて、それは二人の関係(木がいつも年上、あるいは見上げる存在)を表しているとか
木の根元の草の茂り具合で人の行き来のなさを示しているとか
木のてっぺんが描かれないのは、少年が木を上から見下ろすことがないからだとか
いつも同じ構図なのは、「変わらない場所」を意味しているとか
そんな意見が出ました。

一つの本を読み解くのに、その1冊を深く掘り下げるのは欠かせませんが
横に広げていくのもよい手法です。
同じ作家の別の作品を持ってきて
どこが同じでどこが違うかと見てみるのもいいですね。
作家の得意な手法が分かりますし、こだわっている点も明らかになります。
今回もシルヴァスタインの他の絵本を用意して、そっとわきに置いておきました。


そしてタイトル。

「The Giving Tree」

これが日本では「おおきな木」になるのですね。
なぜgiving tree がおおきな木、になるのでしょう。
訳者はなにをねらったのでしょう。
ちなみに表紙の絵を見て「男か女か」と尋ねたら、半数に分かれました。
原書では木は「she」とあらわされています。
しかし、本田綿一郎氏訳では男性っぽく木は話し
村上春樹氏訳のものでは女性として描かれています。
同じ本でも、訳す人が違うと印象が変わります。
次回は、原文と訳した文とを見比べてみて
その「差」と、それぞれの意図とをつかむことをしよう、と言って、初回は終わりました。

本を読んだ、と思っても、
それは「ある人の解釈」を通して読んだ、ということかもしれません。
同じ本を原書と翻訳されたもの2種で計3種で読み比べる、
そんなふうに「読む」のもおもしろくはありませんか?
続きは次回に。


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