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私が決めていること [教室]

私が自分への戒めとして心に置いていることがあります。
私の思った通りに子ども操ることを快としてはならない、ということです。
教室で子どもたちは、先生の言ったことに従うのを「善」としている場合があります。
ましてや、その先生を好ましく思っている場合は、
先生の言ったことにYesを言ってあげたい、と思ってしまいます。
中学生であれば、内申点に響くから反論はしないでおこう、と
計算することもあるでしょう。

だから、例えば時事テーマを扱う場合は自分を戒めます。
問題意識を喚起するために、
私はわざと強く何かを否定したり疑問を呈したりしてみせることがあります。
しかしその目的は、
「そうだ、なぜなんだろう?」と
彼ら自身が考え始めるきっかけを作ることです。
私の思った通りに考えさせることをねらったものではありません。
思想教育をしたいのではないのです。

ですからいつも、ある視座から見たことを話したときには、
しかもそれが彼らにすぐYesを言わせてしまいそうなものの場合は、
あえてその逆の視座から立ったことも言うようにしています。
今日未明に可決された安保法でいえば、
これから日本が向かおうとしていることへの懸念を話すだけでなく、
安保法を必要とする立場からも話しました。
安倍首相がこの法案の意義にあれほどの強い確信を抱いているのは、
私たちが知らない脅威、
政府が知っているということさえ公にできないような脅威が
あるからなのかもしれない、というようなことです。

私たちが見えていることはほんの一部です。
しかもその情報は「見せてもいい編集された(意図を持った)情報」です。
それをわきまえた上で、ものごとを考えねばなりません。

純真な子どもたちには、
醜いもの、世の中のよくないものは見せずに育てよう、という頃がありました。
しかし今、それはもう無理です。
子どもたちの多くはケータイを持っています。
固有の情報端末を持っているのです。
情報はネットからテレビから、
大人の目をかいくぐって子ども達に届きます。
だからもう、見せずに聞かせずに育てようとしても、
彼らの目や耳は、近くの里山や田畑にはなくて、
広すぎる「ここではないどこか」に向けられています。
だから私は、小学生にも時事テーマを用意し、
「へーそうなんだ」で終わらない「思考」に挑んでもらっています。

そしてもう一つ、私が絶対に心がけねばならないと思っていることがあります。
私は戦争をすることにも原発を稼働させることにも
よい気持ちを持っていませんが、
子どもたちが例えば「戦争するものやむを得ない」「原発は必要」と書いてきても
決して否定しない、ということです。
現状認識の甘さや、根拠がまったくないのに結論付けたりしていた場合は
その不備を指摘しますが、
「こういうことを考えてはダメだ」「こんなことを書いてはいけない」とは
言わないと決めています。

私が作りたい場は、
「ここではNOを言っても構わない」と思える場です。
私を含めここにいる人たちは、
たとえ自分が世論と違うことをいったとしても、
NOという言葉だけではなくて、NOを言う自分の思考を読み取ってくれると
思える場にしたいのです。

自分が書くことは、先生の言った通りでなくてもいい、
自分が今言えることを必死に書いてみればいい、
どんな字であっても、どんなごちゃごちゃしたものであっても、
この人なら読む、と思われる「先生と場」でなければならないと思っています。

ですから、どんな講義をした後でも、
子どもたちの作文を読むときには、
自分が話したことを全て忘れます。
「こんなことを話したから、こういうことを入れて欲しい」とか
「こういう内容や言葉を使っているのがいい」とか
子どもたちの作文に「期待する形」を作ってしまったらおしまいです。
自分の話したことは忘れて、
子どもたちが今、何を書こうとしているか、
どんな言葉を選んだか、を見ていきます。
私の言ったことをなぞるだけであった場合は、
どんな状態にこの人は今あるのかを考え、
大きく飛躍した部分があれば、その飛躍を心底誉め、
(この間はこんなダメな部分があったから・・・などと
前のことを引き合いに出して褒めるのを目減りさせることは絶対にしない)
子どもたちの「今、この瞬間」に到達したものを
書かれた言葉も書かれずに終わった言葉も全て読み取って
返すようにしています。

どんな職種であれ、人に力を及ぼす立場にある人間は、
「私の言った通り」となることの嬉しさに酔わないよう気をつけなければなりません。
私が本気で話す言葉が力を持ちすぎそうなときは、
子どもたちのつぶやきに耳をそばだて、
「従わせる」のではなく「聞くよ、見るよ」のサインを送るよう
気をつけるようにしています。

それがうまくいっていればいいけれど、と思います。
本当に、思います。
思わなくなったら、私は終わりです。
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