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ニュージーランドの銃乱射事件を受けて [つれづれ]

ニュージーランドのクライストチャーチで銃乱射事件が起きてから、
ちょっと気持ちがふさぎがちです。
ニュージーランドは私の初めての「海外」でした。
島国ですが「海が美しい」というよりは、「空の美しい国」という印象があります。

空の高いところまで抜けるように青く見える日もあれば
雲がするすると流れるのを楽しめる日があり、
雨がパララッと降ったかと思えば
雲の切れ間から光が落ちて、光の柱が何本も立つ日がありました。
背の高いビルが少なかったので、
空とともに毎日を過ごしたように感じています。
ただ私が1年弱過ごしたのは1995年(平成7年)のことですから、
今は少し変わっているかもしれませんが・・・。

1995年5月に私がオークランドへ経つ前には、日本でも大きな出来事がありました。
1月には阪神・淡路大震災が、3月にはオウム真理教による地下鉄サリン事件が起きました。
地下鉄サリン事件のときの上空からの映像を今もはっきり思い出します。
地下鉄の出入り口付近の路上に、寝かされたりうずくまったりしているたくさんの人たち。
救助のため走り回る人たち。
レポーターの上ずった声を背景にして、
ヘリコプターからの映像は、動きはあるのに動いていない、
リアルすぎる静止画像のように見えました。
こんなことがこの日本で・・・?と
呆然としてその映像を見続けたことを覚えています。
何かが、とんでもない何かが、とうとう顔を出して、
この日を境にして日本も世界も大きく変わってしまうような気持ちになりました。

あれから20年以上経って、テロはもう「日常」になってしまっています。
教室を開設した2001年には、9月11日にアメリカ同時多発テロ事件が起き、
生徒たちといろいろと話をしました。
こんなことがもう二度と起きないようにと願いましたが
それでもやはり大きな暴力は続いてしまって
NZの後にも、オランダで銃撃事件が起きています。

こういうことに慣れてしまってはいけないと思います。
必要以上に子どもたちを怖がらせるようなことはしたくありませんが、
これらのことを「ふつう」で「関係のないこと」「起きてもしかたないこと」と
片づけてしまうような「無感覚さ」を子どもたちに持ってほしくないと思います。

あの、すかんと抜けたニュージーランドの空気の中で
あんなことが起きてしまったなんて、
本当にほんとうに、あってはならないことです。

無感覚は他者への共感力を奪い、
自分だけに通用する理屈で生きてしまう下地になると私は思います。
少なくとも、私が出会う子どもたちには、
その「無感覚」を友にしないでもらいたい、
そのための場を作りたいと思います。

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