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ハードルを下げる [子どもの言葉を変える魔法]

「書く」ということに困難さを感じている子がいるとする。
その子が「書く」ことを楽しむようになるためには
どこに、どんなハードルが隠れているかを探らねばならない。

実際はもっと細かくチェックするのだが、大まかにあげると下の4項目は意識している。

 ・書字の力
 ・思い出す力
 ・視点を決める力
 ・考えを深める力

これらの中で、どのハードルを下げれば取り組みやすくなるかを考えてみる。

たとえば、「何をしたか」をなかなか思い出せず、あっさりと終わってしまう人には
「見たこと・感じたこと」を意識の上にのぼらせるきっかけを作る。

公園で遊んだ、ということは覚えているなら
そこで見たであろう、すべり台のペンキのはげや
踏まれてちぎれてべったりと地面に張り付いた落ち葉のことを話してみる。

遊んでいる間に手に砂がつき、ぱっぱっと払ったこと。
ばーっと友達が先に走っていってしまって、その背中を必死で追いつつ
胸がぎゅんと痛くなる感じがしたこと。

そういうことを話してみる。
すると、同じ経験はなくても、「あ」と思いつくことがある。

 

それでもいざ「書く」となると手が止まる人も多い。
そういうときは、「思い出す」というハードルをもっと下げる。
具体物を用意して書くのだ。
実際に目で、手で、鼻で確認できるので、ぐんと書きやすくなる。

または、私がある動作をして見せて、それを言語化する、という取り組みもある。
1、2分のことなら記憶できるはずだ。
しかしそれも不安になる子がいるようなら、書く前に動作を分解してボードに書きつける。
たとえば、歩く、手を持ち上げる、カーテンをにぎる、勢いよく開ける、外を見る・・・のように。
それを手がかりに、あいだをもっと膨らませて書いてもらう。


「書く」という行為には、多くの要素が含まれている。
全てにおいて完璧なものを書くのは難しい。
(というか、推敲が必要なので、1時間と少しの授業では無理だ)

発達の途上にある小・中学生に「すべて」を望むことなはい。
いくつかのハードルを下げてでも、「書く・伝える」意欲を育むことが、
その子の今後の人生に有益ではないかと思う。


正しく書くのを求めるのなら、そのときは他のハードルは下げて「正しく」書くことだけを。
濃い内容を求めるなら、書字や文法には目をつぶって、何を語るかを。

日記もそうやって、その日のテーマを持って書くといいのに・・・と思う。
そう子どもたちに言うと、「それはいかんの、決まっとるで」と言われる。

学校の先生も「おう!」と思うようなものを書いてしまえばいいのに。
(先生だって、本当は驚きを待っているかもしれない)
決められたルールの中でやらねばならないと思っているようだけど
実は、彼らは自分でルールを作っているのじゃないのかな、と時々思う。


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「言葉を使わずほめる」 [子どもの言葉を変える魔法]

前回、具体的にほめることについて書きましたが
時には、なんだかんだ言うことなく、
言葉以外のもので「よし!」ということも、もちろん大切です。


子どもが「書ききった!」という満足を得ているのがわかり、
その作品が十分に書き手の思いを反映したものであるとき、
読み手の感動を「言葉」に置き換える必要はありません。

ただ黙って、その子の顔を見上げてうなずいたり
「すごいね」と一言、万感の思いを込めてつぶやいたり
目の前で作品を何度も何度も読み返したり。


受け手である私が、どのように感じたかを
姿で見せることも大事だと思っています。
ですから、感嘆したときは、ためらわず表情・仕草・姿勢で示しています。

言葉以外の表現の幅を広げること。
具体的にほめること以上に、自分に求めていることです。


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「具体的にほめる」 [子どもの言葉を変える魔法]

今日は「ほめ方」について。

「すごいね」「よくがんばったね」「上手だね」「たくさん書いたね」

こういったほめ言葉は、場合によっては悪くないのですが
こればかりだと、何が・どのように「すごくて・上手」なのかが伝わりません。

ですから、私は文章の中の
「どの言葉・部分が」「どんな効果を挙げて」「読み手の気持ちをどうさせたか」
はっきりと伝えるようにしています。

そのほめた部分が、本人が意図して書いたものではなく、偶然生まれたものであったとしても
私はそれを熱烈にほめます。
たまたま書いたものであってもいいのです。
それがどのような効果を生むのかを知れば、次は意図して書こうとします。


言葉がどのように受け取られるかを知ることは
表現を工夫してみよう、という気持ちを育てます。

誤字脱字があっても、文に流れがなくても、
「これは光る一言だ」というものがあればいいのです。
それを認めて具体的にほめることで、書き手は次の一歩を踏み出せます。


多様な表現を書き手に求めるのなら、
受け手の私自身が、多様なほめ言葉を返していかねばなりません。

まずは自分から! を心がけています。


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「人として尊重する」 [子どもの言葉を変える魔法]

いつもお読みいただきありがとうございます。
どんな方が読んでくださっているのかわかりませんが、
若干ながらも毎日アクセスがあることを、とても嬉しく感じています。

今回から、不定期で「言葉かけのコツ」というシリーズを始めることにしました。

作文には「こう働きかければ必ず書ける」というものはありません。
ですから、私がこれから書いていくことは、
働きかけられる側の全ての人に有効とは言えませんし、
働きかける側の全ての人になじむものとも言えません。
ですから、「こうでなければならない」とかたくとらえず、
働きかけのバリエーションの一つとして、お読みいただけると幸いです。

 

さて、前置きはさておき。

私が子ども達に向かうときに、一番大事にしていること。

それは、「人として尊重する」ということです。

子どもも、人間です。
大人どうしなら決してとらないような言動は、相手が子どもでも決してとらない。
それが、基本です。


上からおさえつけるように言う。
嫌味を言う。
ばかにする。
こんなことできないの、と言う。
まだやらなくていい、と言う。
犬や猫のように、やたらと可愛がる。もちあげる。


相手を「人」だと思えば、そんな言動は取れないはずです。
一人の立派な、気持ちと考えを持った人間として敬意を持って接すれば、
子ども達の背筋も自然に伸びます。

文章は自己表現なのですから、「人として立つこと」が不可欠です。
その姿勢で臨んでもらうためには、
私が、彼らを人として尊重しているのだと、
態度でもって伝えることが大事ではないかと思っています。



ただ、関係が「親子」の場合は・・・
特に理由もなくただ可愛がったり、絶対にしてはならないことを強く叱ったりするのは
とてもとても、必要なことだと思います。

だって、親子なんですから!

私は「先生と生徒」の関係にあるので、こうなります。
親子でも、私と同じ気配りをする場面があってもいいとは思いますが
親子だからこそ、掛け合える言葉があると思います。


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