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あせらないこと。信じて待って! [子どもの言葉を変える魔法]

ブログでは、教室の生徒たちの「よい部分」をできるだけ紹介するようにしています。
読んでくださるのは、在籍生の保護者の方が多いでしょうから、
授業中の彼らの活躍をお伝えしたい・・・、というのと、
「よくない」ことが書かれていると、「これはひょっとしたらうちの子かしら?」と
悲しく思っていただきたくない、というのが理由です。

ですがもちろん、教室での作文が
「どの子も・いつも・めん玉が飛び出るほど・すごい!!!」作文を書く・・・
・・・なんてことは、ありません!!!

前回紹介した描写の課題でも、
「人の姿だけ!書こう」と何度も言っても
いきさつを6行も書いてしまって、結局「人」を見えるように描けなかったり、
一つのことを描ききる前に、どんどん別のことへと流れていってしまったり、
というような作文はありました。

ですが、「う~ん、こちらの意図が届かなかったか!」と思う作文になっても
「だからこの人はまだまだだ」「ここがダメだ」「力がない」とは思いません。
いつも、「あせるな、あせるな」と自分を戒めます。

その人が真に意図を理解できるように
私の働きかけをもっと工夫するべきだということは、しっかり肝に銘じますが
多少ずれたものに仕上がったとしても、
多少読みにくさが見える作文だったとしても、
それは、今のその人が、そういう言葉で返してくる段階にある、ということでしかありません。
その子の心の奥底では、確かに何かが育っているのですが
それがまだ、表面に出てきていない状態だ、というだけのことです。
だからあせって、「はやくここを直さなければ!」とは思わないようにしています。
「直す」「矯正する」という意識が私にあったら、
生徒はいつか、「表現」ではなく、私の中にある「正解」を見つけようとし始めるでしょう。
それでは彼らが持っている「よい芽」を育てるのではなく、
つぶしてしまうことになると思っています。

たぶん、保護者の方の中には、
「なんでこんなまちがいだらけなの?」
「先生の言っていることを理解しているように思えないなぁ」
「この子ったら、まだこんなふうにしかものごとを見られないのかしら」
という思いを抱いていらっしゃるかたもおいでだと思います。

ご自分のお子さんなのですから、はがゆい思いを抱かれても当然です。

ですが、教室の子どもたちで、
なまけて書いている子は、一人もいません。
たまたまその日はうまくはまらなくて、
言葉が凡庸になったり、足りなかったりすることがあったとしても
それは決して、怠けたり逃げたりしたからそうなったというものではないのです。

書くということは、重労働です。
いつでも、正解のない道を明かりもなしに探っていくようなものです。
生徒たちは、その「なかなかにむずかしいこと」にいつも挑んでいます。
まだまだ成長過程の只中にある人たちなのですから、
どんどん試していくことこそが大事。
「あれ?なんだこれ?」というものも生み出したってかまわない、と思います。

あせらない、あせらない。
ほんの少しだけど、確実に芽は育っているのです。
入室当初はちっとも鉛筆を動かせなかった人が
4か月後、物も言わずにただ紙に向かって、言葉を書き連ねている、
いつも同じような視点の意見文が半年近く続いた人が
ある日、ぽん!と、テイストの違う作品を書き上げる、
そんなこと、教室では何度もあります。
だから、あせってはいけないのです。
停滞しているように見えるときこそ、
焦らず変化を待ち続けないといけないのです。

待つのは大変。
すごくわかります。
でもどうか、「よくないところ」にフォーカスしないで
「小さな変化」に目を留めて
ああ、一歩進んだのだなぁと思っていただけると、
きっとお子さんにとっては何よりのエールになります。


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