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2018年、最初は俳句で! [課題―詩・俳句・その他]

2018年の本科、今週から始まりました!
どの課題から始めようかとあれこれ考えたのですが、
数年ぶりに「俳句」からのスタートにしました。
前の教室のころは、12月最後の課題を詩、1月の最初を俳句と決めていました。
俳句は廊下に張り出し、どの句がよいか、好きな句に1票を投じる…
ようなこともしていたのです。
貸し教室を使うようになってからは、掲示するところがないのでやめていましたが、
新しく場を設けて、掲示スペースもしっかり作りましたから、
今年は久しぶりの俳句つくりに取り組みました。

それと。
俳句で始めたくなったのには、もう一つ理由があります。
「言葉を選ぶ」ことに、意識を向ける一年にしてほしい、という思いがあったからです。
17音しか用いられない俳句は、
ことばを選び抜かないと、場景が全く見えないような、説明的な句になります。

俳句は写生。
その瞬間を言葉で写し取ります。
狭いフレームの中に何を大きく置くかを決め、
伝えたい印象をどの「形あるもの」に代弁させるかと考える…。
そういったことを意識して取り組んでもらいたいと思いました。
なぜなら、それらは「表現」には欠かせないものであると思うからです。

中1男子の句。
部屋から見た初日の出を句にしようと考えました。

年が明け 窓に近づき 日に拝む

5・7・5であるから、これでいいと言えばいいですよね。
でも、中心にしたいことが、初日なのか、拝む自分なのかはわかりません。
拝んだ初日は、どこにどのように見えたのか、それもわかりません。
本人以外の人は、彼が見た初日を心に描くことはできないのです。

そこで彼に、主役にしたいのはどっちか、と尋ねました。それと、
「ねえ、初日はどこにあったの? 窓から見える景色ってどんな?
公園が見えるの? その上? それとも、電柱の先っぽにあったとか? 
隣のうちの屋根の上にぽっとあったのかな?」
「う~ん、ビルの上。」
「ビルの上? すぐ上? 離れたところ? 空はどんな?」
と、いうように、彼が見た初日の形を、はっきりと思い出せるような問いかけをしてみました。
「ビルにちょっと隠れてて、真ん丸じゃなかった」
と言うので、その形を言葉にしてよ、とリクエスト。こうなりました。

ビル近く 今年の初見 欠け日の出

「欠け日の出」という造語がちょっと面白い。
男の子ならではの選択です。
こういうのはぜひ残したい。彼なりの色ですからね。
でも、真ん中の7音がどうももったいない。
「今年の初見」? 味わい深くない表現です。

他にないかと尋ね、場を感じさせるものはないか、光はどんな、とか、
いろいろ話しているうちに、
「初見」という言葉を”開く”のはどうかと思いました。
簡単に言えば、漢語を和語に置き換えます。
和語のほうが、動きが見えるからです。
「ねえ、『どう』見たの? どんなしぐさで? カーテンの隙間から? 大きく目を見開いて?」
「うーーーーん。目を細めた。細くして見た」
「じゃあ、それ使ってみよう。
『ビル近く ほそめて・・・ 欠け日の出』細めて…、あと何伝える?」

仕上がりの句は

ビル近く 細めてながめる 欠け日の出

入賞する句かどうか、と言われれば、もうひとひねり必要かもしれません。
これだと、「ビルの近くで欠けた日の出を見た」とも取れます。
そういう誤解を避けるようにまた言葉を選び直さねばならないのでしょうが、
残念ながら終了時刻になりました。

でも、私はこの句には大きな意義があると思います。
一度作ったものを「手直し」することは、小中学生にとってはかなり難しいことです。
せっかく作ったもの、「これで終わり!」と思ったものを
また考え直すのは、うんざりすることなのです。
「もっとよくするためには何をしたらよいか」と考えること、
実際に試行錯誤すること、
そして手直しして「前よりよいものにできた」と感じること、
全てが得難い体験で、「表現」に挑み続ける体力(耐力)をつけるものです。

本科生だからこそ、できることです。
単科ではこういった課題は実施しにくいというのが正直なところ。
月に1回しかありませんから、生徒もこちらも「粘る」大変さに負けてしまいます。
久しぶりに俳句に取り組んでもらって、
本科生の粘りに心底感心しました。
1年2年と毎週書き続ける彼らは、やはり「考え続ける」力を持ちます。


さて、別の子。中3男子。受験のために冬期講習づくしの年末年始だったそうです。
その印象しかない、というのでこんな句を作りました。

学ぶため 冬の牢屋に また戻り

あーーーーー、気持ちはわかるけどね、
これだとやっぱり何も見えない。しかも「冬の牢屋」という比喩が、彼以外の人でも使いそう。
「ね、すっごい勉強頑張ったんでしょ? 頑張ったその努力がさ、ここに出てるなぁって思う『形あるモノ』っていったら、何? テキストとか? 端が折れてたり開き癖がついてたりして、それが『やりきった』って思うものになってない?」
「いや、ワークはきれい。汚れてない」
「うーん、じゃあ、他には? シャーペン? かばん? 机の落書き? 何かさ、自分が『ここまでやったんだぞ!』って言えるようなモノがないのかなあ」
しばらく考えたのち、彼。
「強いて言えば、消しカスですかね。」
「おっ、いいじゃん! 消しゴムのカス、どうなってる? 机の上に散らばってる? はしっこに山にする子もいるよね。丸めて練り消しにする子もいるし。机からはたき落とす子も。君はどうするの?」
「いや、僕の場合は挟まってるのがありますね」
「ノートとかワークに? いいじゃーん、それを写生して!」
で、できたのが、

挟まった 学びの跡を くずかごへ

!!!!!!!
「形あるモノを入れてって言ったじゃーん! これじゃあ、何を捨てたかわかんないよ! 消しゴムのカスって、入れないの?」
「えーっ、そこまで具体的な名前を入れちゃっていいもんなんですか?」
「消しカスが君の努力を代弁してるんでしょ、それに語らせるんでしょ! 気持ちは他のもので語らせる、それがプロがよくやる手法だったよね。しようよ!」
それで、

挟まった 消しゴムのカス 学びの跡

となりました。
「でも、これだと『だから何?』って感じがする」
と彼、つぶやきます。
そう言いながら、講座の初めに、過去の教室生の句を例として読み上げたとき、
「なんかパッと様子が浮かんでくるのがいいです!」
と勢い込んで言ったのも彼です。
こういうアンバランスさも、若い人たちとやる楽しさです。
わかるからできる、ということではありませんね。
やってみて、誰かに伝えてみて、どういう感じを受け取ってもらえるのかを確かめる。
それが皆の引き出しを増やすためのことでもあると思います。
ちなみにこの中3男子は、
他の子が自分の句を「いいと思う」と評価してくれるのに
首を傾げつつ、ちょっとだけ、口元がゆるんでました。

たった一句を作るためにすべての時間を使い切った人も多かったですが、
全員「ありがとうございましたー、また来週!」と
大きな声で帰っていきました。

うれしいうれしい、初講座でした。

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