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言葉を受け取る [作文のチカラ]

明日、LD学会に行ってきます。
学会の会員ではないのですが、名古屋でお世話になっている方々からお誘いを受けて、見に行くことにしました。

作文教室を開いていると、ときどきですが、字を読むこと・書くことに難しさを抱えている人に出会います。
はっきりと、たとえば診断名がつくくらいに困難さを抱えている人が来ることはまれですが、それに近い傾向をお持ちなのかな、と思うことは度々あります。
とはいえ、私は医者ではないので、そうだと断定することはできません。また(書くのも恥ずかしいのですが)、私は教育学部の心理学科に在籍していたにもかかわらず、そういったことを全く勉強せずに卒業してしまいました。私が学生の頃は、大学で発達障碍について学ぶことはほとんどなかったのです。

何の知識もない私ですが、字を書くことに困難さを感じている人を目の前にすると、やはり手助けしたくなります。効果的に書字を学ぶ方法はないだろうか、週に1回、月に1回でも何か「習得」に役立てられることはないだろうか、などと考えて、本を探したり講演会に出かけたりしました。
そうやってあれこれともがいて試しているうちに、最近はようやく、自分のやるべきことがわかったような気がしています。

 

結局は、いつもと同じこと・・・その子の言葉と心を聞くこと・・・でした。


書字の指導をしたとしても、たかが週に1回、月に1回なのです。
学校のように毎日少しずつ働きかけられる場所なら効果は出ますが、度々しか会えない人に、無理に何かをさせようとしても、その人の助けにはなりません。
それよりも、週に1回、月に1回しか会えないのだから、本人が楽しめることをしたほうがやはりいいのです。工夫をほめてもらえた、自分の思いが伝わった、その喜びを味わうことこそが、表現への動機付けになります。困難さを抱えていようがいまいが、それは皆同じです。私も、もちろん同じなのです。

 


名古屋で、私が不定期にかかわっている高校生と大学生のグループがあります。
書くことにかなり困難さを感じている人の集まりです。
文字の習得は度外視して、とにかく思いを受け止めること、表現したことを認めることだけに努めてかかわってきました。
先日は、『クローンマウス』をテーマにして行いました。時事テーマです。

出会った頃は、「書けない」とばかり言っていた人達が、何も言わずに紙に向かいました。
討論時の真摯な視線。作文に向かう力強い背中。彼らはもう、立派な「表現者」でした。

本当は、私はただ自分のできること、自分が一番得意なことを貫いてやってきただけです。しかしそれが、この人達には力となってくれたのだと気づきました。気づいて、私の働きかけを受け止めてくれた彼らに本当に感謝しました。
言葉を受け取ってもらいたいのは、彼らもそうですが、私もやはりそうなのです。


 

文字の習得を、私は手助けできません。
おまけに、発達障碍の人達のサポートに関しては、まったくの素人です。
ですが、書くには、「書きたい」と思う動機付けがあるから、人は書くのです。

人は同じです。 言葉を受け止める人がいるから、書けるのです。


書くことは辛いし怖い。 でも、受け取ってもらえればうれしい。
作文指導の一番大切なこと。 これしかないのだと思いました。


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『感じない子ども こころを扱えない大人』 [作文のチカラ]

作文には自分の気持ちを書くもの、というイメージがあるが、

実のところ、そんなに簡単には文章に「気持ち」は出てこない。

「周囲で起きたこと・自分がしたこと」は書いても、

その中で自分がどう感じただとか、どんな思いが沸き起こってきたかだとかは、顔を出していないことが多い。

 

言葉を間違いなく表記できるようになった後にぶつかるのが、この壁だ。

うまく書けているのだけど、何か物足りない。 本心を語っているように思えない。

表面をうまく均して美しく見せているが、奥にある思いを覆ってしまっているような気がするのだ。

 

そういう人の場合は、心に何かストッパーのようなものがあるように思う。

正しいことしか書いてはいけない、

自分の悪い面は書いてはいけない (悪い気持ちがあることを知られてはならない)、

そんなふうに思い込んでいる場合もあるし、

自分の気持ちをつかむこと自体が、難しい人の場合もある。

 

念のため言っておくが、そういう人が「悪い」とも、そういう考えが「いけない」とも言っていない。

自分をさらけ出すのは勇気がいる。 

ましてや書くとなると、長い間この世に残る上、誰が読むか分からない。

慎重になるのも仕方がないことだ。

 

子ども達の中には、自分の気持ちをうまく拾い上げることができない人がいる。

嫌だ、悲しい、という気持ちに気づけずに、単に「こわい」という感覚だけが表面化する人もいる。

何を感じているのか。 どう思っていたのか。

それを語ることができれば、自分自身と向き合う力を育てられる気がしている。

 

そんなことを考えていたときに、書店で「ああ、これだ!」と思う本に出合った。

袰岩奈々氏の『感じない子ども こころを扱えない大人』である。

本の中で、袰岩氏は

『気持ちを聞くときには、「もしも自分だったら、どんなことを感じるだろう」と

イマジネーションを働かせることが大切』 と述べている。

『そして、「もしかしたら、こんな気持ちかも」「自分だったらこんなことを感じる」ということを相手に伝え

「あなたはどんな感じ?」と聞いてみる』 とある。

 

そういえば授業でも、生活文を書く際には

そのときのテーマで、「私」ならこんなことを書くかも、と自分の話をよくするのを思い出した。

「私」と「私の家族」の話(大抵は、ばか話!)を聞きながら、

子ども達は「なんだ、そんなことでいいの?」「そういうんだったら自分にもある」という顔つきになってくる。

 

そうか、このアプローチはやはり効果的だったんだ、と少し嬉しくなる。

子ども達の作文を読めば、自分をさらけ出して話すことに効果があるのは、それなりに感じられる。

だからそれを続けていたけれど、他にも同じように考える人がいるのだと思うと

そうか、そうかという気持ちになる(たぶん安心するのだ。これでよかった、と)。

と同時に、最近私はこの「基本」を忘れてなかった? と振り返る機会にもなった。

 

この夏は、「気持ち」を語ることをテーマにしよう、と決めた。

ひょっとしたら、論理的に語ることよりも難しいかもしれない。 語る型がないからだ。

しかし、内面を言語化することで、変われる人もいるかもしれない。

私自身のためにも、この夏のテーマは、これでいこうと思う。

 

最後に、袰岩氏の言葉をもう一度数行だけ、引用させていただく。

「別に」
「わかんない」
子どもたちは、すぐ口にする。でも、彼らは本当はわかっているのだ。わかっている“その感じ”を話す言葉がみつからない。どういうふうに説明すればいいのかわからない。大人に自分のことを説明していいんだ、ということを知らない。説明しても、大人はわかってくれるはずがない・・・。だから、子どもは言う。「わかんない」と。
「わかんない」の後ろに隠れた“その感じ”を、少しでも子どもが言葉で表現できるように、大人は早急に答えを求めることなく、順序だてた訓練を子どもと一緒に行っていくことが大事だと思う。

 

そうなのだ。

「わかんない」「しらん」「めんどくさい」「ウザイ」「どうでもいいし」「オレには関係ないし」

思考を停止させる言葉。 これらを使わなくてもいい人になってほしいのだ。 子ども達に。

 

感じない子どもこころを扱えない大人 (集英社新書)

感じない子どもこころを扱えない大人 (集英社新書)

  • 作者: 袰岩 奈々
  • 出版社/メーカー: 集英社
  • 発売日: 2001/07
  • メディア: 新書

自分の気持ちに気づくのにも、他者と気持ちを語り合うのにも、ヒントとなることが載っている。

ぜひ、お手にとってみてほしい。 

 


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心をはぐくむ作文? [作文のチカラ]

作文を書く効果は、「分かりやすい文章を書くことができる」 「論理展開がうまくなる」

「ものの見方を増やせる」 「思考力がつく」など、さまざまあるけれども

それだけではない、と思うときがある。

 

ときどき、嬉しくなる言葉をいただく。

「作文教室に通ってから、息子の笑顔が増えました」

「娘が私にいたわりの言葉や励ましの言葉をかけてくれました。

教室に通う前は険悪で、あまり口をきかなかったのに」

 

特別なことは何もしていない。

ただ、彼らが書いた文章を読み、私の心に触れた表現を伝えて、それと共に新たな変化を認めて、

次に書く文章を心待ちにしただけだ。

 

自己評価が低めの人は、間違うことをとても恐れる。

何か伝えようとすると、こちらが口を開く前に

「あ、かんちがいした」「ちがう、ちょっと思い出せんかっただけなんやて」と自分を守ろうとする。

作文を書く前も、書いている間も、しょっちゅう「これでいい?」「~って書いてもいい?」と尋ねてくる。

 

どれだけ字が間違っていようとも、

どれだけ話が混乱していようとも

とにかく、その人が伝えたかったことを、読む。

きらっと光る表現をすくい上げる。

そして、間違いを指摘するために話をするのではなく、

書いたもののよさを伝えるために、書いたあなたのよさを伝えるために、

今、話をしているんだよと、何度も態度で示す。

 

間違いがこわい、と思っている人から、その思いを抜き去ることは難しい。

しかし、1年、2年と付き合っていくうちに

硬さがほぐれて、書くことを恐れなくなる。

自分に自信を持っていくようになる。

 

もちろん、他教科ではまだ「うまくいかない」という気持ちを持っているかもしれない。

しかし、作文では×はつかない。

それが自己評価を高めるカギとなってくれるようだ。

 

 

もちろん、すべての人が同じようになるとは言わない。 私は魔法使いではない。

冒頭の言葉は、たまたま働きかけがうまくいった人、ともいえる。

 

しかし、「文章を書く・読まれる」ということは、大きな変化をもたらすものであるには違いない。

簡単なことだ。

片手間に読むのではなく、しっかりと文章に向き合うようにして読む。

最初の一言は、書かれた内容について、感じたことを口にする。 ほめるつもりで。 

そして、心からの興味を持って相手の話を聞く。

五感を用いた表現を相手に求めるのではなく、自分自身が行う。 うまくいけば、相手もついてくる。

 

そして、間違いが10あったら、指摘するのはそのうちの1つか2つくらいにする。

言わない日もあったほうがいいかもしれない。

 

 

彼らが書く作文は、語彙も豊富な本好きの人が書く作文に比べると

幼く頼りないかもしれない。

しかし、書くことは本人の力になるのだ。

見比べてどう、ではない。

書くことは生きる力になるときもある。 私はそう思っている。

 


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言葉のインプット [作文のチカラ]

言うまでもなく、作文はアウトプットの作業だ。
アウトプットするためには、語彙の習得(インプット)が必要。 これも言うまでもない。

ということで、今回は言葉のインプットをテーマにしたい。

言葉のインプットの中で、一番よい手段は読書だ。
語彙の習得以外にも、もっと多くのことを身に刻むことができる。
例えば
1 慣用表現・表現技法
2 文のリズム
3 書き言葉
4 新しいものの考え方・価値観
5 先読みの力
6 全体を見通す力・一貫性の理解

というように、説明されただけでは理解しにくいことを「体に刻む」ことができる。
自分で読むことが難しい、もしくは気乗りがしない様子なら
読み聞かせをするといいのになあ、と思う。
読み聞かせは幼児のものではない。 年齢はまったく関係ない。 
理解や興味に応じて本を選べばよいことだ。
いつからいつまでと限らず、読み聞かせはやってみたらいいと思う。

大きくなったのだから自分で読んでほしい、と思う気持ちは分かる。
それに、自分で読む力がなければ試験のときに困るだろう、というのも。
それでもやはり、まずは言語習得が肝心だと私は思う。


何せ、インプットした言葉が生きてくるには時間がかかる。
幼児の時の経験は幼児の時期に活用されるのではなく、小学校低学年の時に現れる。
小学校高学年の読書経験は、中学で生きる。
1,2年のブランクがあるのだ。 心の中で寝かされ発酵される時間とでもいおうか。

中学生になると心の発達に従って、新たな価値観の構築が必要となる。
その際にも、読書を通じて、誰かが考えた世界とどっぷり向き合う経験は有益だ。
一人の人間の想念とたたかうことになるのだ。 感受性豊かな頃だから得るものは大きい。
しかも、書き言葉で物事を考えるチャンスも得られる。

本の害は、読みすぎると目を悪くすることくらい(私のように)。
後は運動不足? これも「すぎれば」のこと。 
この害ならゲームと大差ない。 ゲームよりは、思索的でいい。
ゲームは反射であって思索でない。

 

さて、とはいえ本アレルギーの人もいるようだから、別の手立ても。

言語習得は耳からなされるのだから、
言葉掛けを変えるのである。

話し言葉は主語または述語が欠落しやすい。 それに句点(。)で切ることなくだらだらと続く。
指示語が多い上に、同じ表現が繰り返し用いられる。
また、「どのように」を表す言葉がないか、もしくは決まりきった表現で終えられる。

これが会話表現の特徴だ。
相手に伝えることを主眼に置いたものなのだから、こうなるのは当然ともいえる。
書き言葉同様に話をする人がいたら、聞き手は話がどこにたどり着くのか分からず不安になってしまう。 
待っていられないはずだ。
会話は、論点がすぐに見えるようなものが心地よいのだ。

だが、言語習得という観点から見た場合では少し問題がある。
耳からしか言葉を仕入れていないようなら、
聞く言葉の質を変えねばならない。

あまりうるさくならない程度に、主語を入れて話す。
「すごいねー」のあとに、どうすごいのかを表現する言葉をつける。
きちんと文を終わらせる。
多少新しい言葉に触れられるよう、言葉を選んで使う。

中学生の授業では、私は意識的に書き言葉でものを言う。 漢語を使う。 
耳で聞くと、ん?と思われそうだが、あえて使う。
耳から聞いたリズムに引きずられて、文章も変わるから面白い。
中学生の吸収力は、他の年齢とは違う底知れなさがある。
本人達は「小学生より俺らのほうが頭固くなっとるもんねー」などと言うが、そうでもない。
『こうでなければならない』という思い込みが強く出る場合もあるが
『あっそうか!』と開眼したときの吸収は小学生よりもいい。 主体的に向かうからだ。

 

意識して会話表現を豊かにしようとすると、これまで少ない語彙で話をしていたことに改めて気づかされる。
だから「主述を入れて」「文を終わらせて」「どのようにを補って」話すのは、話し手の訓練にもなる。

しかし、一つだけ注意。
働きかけには心がけてほしいけれども、お子さんの言葉を、言った傍から直すのはよしたほうがいい。
話すのを億劫がるようになってしまう。 
会話は、相手に受け入れられる安心感があるからこそ楽しいものだ。 
あなたの話は面白い、だからもっと聞かせて、という姿勢で合いの手を入れる。
言うほど容易くない。 知っているけれど、やる価値はある。

気は長くもってほしい。 読み聞かせも、言葉掛けも、効果が出るには時間がかかる。
言葉には、寝かされる時間が必要なのだ。

 


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表記と表現 [作文のチカラ]

「うちの子は作文が書けません」とよく聞く。
ここで考えねばならないのが、『作文を書く』に含まれる2つの要素だ。
要素の1つは「表記能力」。そしてもう1つが「表現能力」。

「表記能力」は、正しく記述する能力を指す。
句読点や「」の打ち方、原稿用紙の使い方、助詞、主述の整合性。
作文を読んだとき、最初に目に付くところだ。
人は、間違いを見つけるように子どもの頃からしつけられているから、
まずそこを問う。
内容よりも、ミスを指摘する。 語られたものよりも、語られた「カタチ」を評価するのだ。

よって、作文指導は、この表記能力を高める指導であると思われがちである。
間違いのない、読みやすい文章を書くことをねらう指導だ。
事実、文章は「他者に自分の考えを伝えること」を目的にしているから
表記能力は欠かすことのできない力であるといっても、間違いはない。
学校で行われる指導も、まず表記能力をつけることをねらいにしているように思う。

 

表記能力がある程度つくと、どんなテーマでもそれなりのことが書けるようになる。
ちなみに、「アイスクリームのおいしさ」を題にして、原稿用紙3枚以上書けと言われたとしよう。
ある程度の表記能力を持った人なら、朝飯前である。
流麗な文章で、アイスクリームの味わい、食感、種類の豊かさ、まつわる思い出、
どんなふうにでも展開して、書き続けていくことができる。

美しい文章。ミスのない文章。
しかし、1200字を費やして書かれているのは、「アイスクリームはおいしい」だけである。
いかに言葉を飾ろうと、多方向からアイスクリームを見ようと、
書かれたことは一つだけ。「アイスクリームはおいしい」。

 

読みやすくて言葉の使い方がうまい文章が、何よりも勝るとは限らない。
語るべきことを持たない文章は、スカスカで軽い印象を読み手に与える。
軽い文章は読み捨てられる。誰の心にも残らない。
そんな文章で満足していては、先に進むことはできない。

美しく飾られた、しかし何も語っていない文章と、
伝えたいことを、その人が持つ精一杯の言葉で書いたものとを、読み比べてみるといい。
たとえ漢字のミスがあり、「。」が抜け落ちている文章であっても、
体の奥から導き出された言葉や感覚を使った文章の方が、
中身の濃い、読むべき価値を持っていると私は思う。

 

そもそも子ども達は、発展の途上にある存在である。
「いま」、完成形である必要なんてないのである。
10年後、20年後に、身につけた「書く力」が自己表現の武器となり、
目標に近づく手立てとなれるよう、「いま」があればよいはずだ。

何を語るか。何をどう考えるか。
それが「表現能力」の基礎となる。
表記能力に比べて、こちらを伸ばすのは容易くはないし、時間もかかる。
だからこそ、「いま」、目に付く記述の間違いに目くじらを立てるのではなくて、
何をどんな言葉で書き表したか、物事をどう見ようとしたかに着目して
文章を受け止めていくべきではないかと思っている。

「表記」と「表現」。
とりあえずはこの2つのキーワードを基に、『作文』の持つチカラを考えてみたいと思う。


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