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考える手法④ [課題―読解]

さて、残りを一気に!

9 家を構成しているものは何か。
10 人にとって、家がなければならない理由があるとすれば、それは何か。
11 この世の中は仮の住まいだと言った先人は幾人もいるが、その考え方をどう思うか。
12 「私の家」という私有や所有の発想というものがきみにはあるか。
13 一つの家族がなぜ一つの家に住むのだろう。
14 動物の巣と人間の家との共通項と違いを述べなさい。
15 きみは、学校に行くときや旅行に行くとき、家を後にする。そして帰ろうとする。なぜ帰るのか。
16 昨年の地震のときに、多くの人々が家に帰ろうとしていた。それはなぜだと思うか。

これらの問いを見て気づくのは、
・見る方向を変え、何度も定義を考えるよう促している
・子どもたちが思いつくであろうことの「外」にある視点を提示している
・常に相違に着目させている
・人の行動・言動の意味を考えるよう促している
・現実に起きていることに置き換えて考えさせようとしている

教室では、考える手法として、「定義を考える」「差を見る」「対極にあるものを考える」
「人の行動の意味に迫る」「キーワードに付随する動詞を挙げてみる」
「現実の出来事の中に同じようなことがないか探す」
などのことを紹介し、挑んでみるよう働きかけています。

このドリルも、その一環として取り組みました。
しかし、取り組みのねらいは
「すべての問いに、深く鋭い、人をうならせるようなものを答える」
ことではありません。

もちろん、そうであればいいとは思います。
しかし、残念ながら一度や二度の取り組みで、
はっとさせられるものを出し続けられる人は多くありません。
ましてや、日常的に作文に取り組んでいない人、
答えの出ない問いに取り組む経験の少ない人の場合は
定義を追うことで精一杯です。
成果を一気に求めては、伸びるものも伸びないだろう、と思っています。

まずは「答えのないものに取り組む」経験を持つこと。
自分なりに、「定義付け」に取り組んでみること。
その定義に「なぜそう言える? それはどういうこと? 逆ではないの?」と
再検討する癖を少しずつ、つけていくこと。
「考える手法」が自分の手足のように使えるようになること。
そして、答えをすぐに出すのを目指すのではなく
「考えを巡らせる」力を身につけていくこと。

それがねらいです。
最終的には、ドリルにあるような問いを自ら生み出せるようになり、
常に周囲のできごとを「問い」をもった目でみつめながら生きていく力をもってくれれば、
と思っています。

よって、たとえばこのドリルに取り組んで書いた作文が
それほど光るものでなかったとしても、
私は「今回はダメだったね」とは思いません。
「ものの見方」を身につけていくのが挑戦なのです。
「家」以外のテーマに取り組んだとき、
多角的に検討する「問い」を自ら生み出せるようになってほしいのです。
答えの出にくい問いに取り組む経験を積んで、
本質を見抜く訓練や、それを言葉に置き換える訓練に
何度も何度も取り組んでいるうちに、ふっと抜け出る時が来る。
それを待って、働きかけを続けています。

毎回の作品に「よい・わるい」をつけるのは
私はおすすめしません。
作文の場合は、「いつも満点」はありえないからです。
(「いつも全力」はありますけどね)

考えが生まれるとき、大きく成長するときの前には、
いつも沈み込む期間があります。
その沈み込みの期間に
「ウチの子には難しいことをさせすぎているんじゃないか」
「こんなこと、むだなんじゃないか」
「ボロボロだわ、ウチの子の作文・・・」
ってお思いの保護者の方もいらっしゃるようですが
はい、気持ちはわかります。
ご自身のお子さんですもの、心配も期待もしていらっしゃって当然です。

ですが、私は作文指導者なので、
違う視点で見て、言葉をかけています。

作文指導者に必要な資質は
・待てること
・伸びてきた芽を見つけて、本人に具体的に「よし!」と伝えられること
・子どもたちの視点の外にあるものを提示できること
・「あなたの言葉を聴きたい」がはっきりと伝わる姿勢と言葉を持っていること
・「今」だけでなく「未来」を見て、布石となる言葉を投げかけられること
ではないかと思っています。
間違いを正しく見つける目を持っていること、などではありません。

上記のことは、私が常に心がけていることです。
できればここに、作文以外の「専門」があると面白いんですけどね。
置き換えの幅が広がりますから。


「ふ~ん」と納得することや、唯一の答えを出すことの方が多い日常です。
「考えを巡らせる」「無いものを生み出す」機会は、それほどありません。
作文のねらいは、賞を取ること、人に認められることですか?
ちがいますよね。
自分と向き合うこと、
ことばを使いこなす力を持つこと、
誰かに伝えようとする能動的な姿勢を持つこと、
語りたいものを持つこと、
そういったことではないでしょうか。

作文が書けない、という人たちの多くは
語彙が少ないからではなくて、
「考える」ということがどういうことかわかっていない(力がない、ではない)
あるいは、
感覚を言葉に置き換えるときのコツを知らない(力がない、ではない)
場合が多いように思います。

文章はすらすら書けるのに内容はありきたり、という人は
「疑う」「深める」システムが育ちきっていないことが多いようです。
まあ、当たり前といえば、当たり前です。
「書ける」から、必要ないと思ってしまいますもの。
(「それ以上」を求められる機会が少ないですから)


つくづく、言葉は相手がいてのものだなぁと思います。
受け手がいなくては、変化しないですものね。
保護者の方々、
作文は「教える」ものではありませんよ。
「教える・うまく導く」ことを考えて、「家庭で」言葉をかけたら
子どもたちは嫌がります。

「よい受け手」になることです。
子どもたちと同じように、考える手法を使って
「正しい見方」を教えるためにではなく、
「私はどう見るか」を真剣に考えてみることです。
「教える」のではなく、「語り合う」。
それができれば、お子さんたちの語る力を触発できるはずです。
マル・バツをつけないで
語っていることを、見てくださいね。

さて、今週は10月の5週目だったので、授業はお休みでした。
(ちなみに明日もお休みです)
休みだと思って気が抜けたのか、熱っぽくなってしまって
昨日は一日寝ていました。
今日は大丈夫、と思っていたら、ちょっとまたヘンな感じ・・・。
風邪ではないようですけど。疲れでしょうか。

ブログだけは、と思って書きましたが
だんだん支離滅裂になってきてしまったような・・・?
すみませ~~~ん。

今度の日曜は名古屋の単科講座。
今月はキャンセルも出たので、参加者は少なめです。
今からでも受付いたします、
皆さま、ぜひぜひご参加くださいませ! 
「正答のない作文」は底なし沼ですけど、
その「底なし」の感じを一緒に楽しんでしまいましょう~!(熱で浮かれている・・・?)
お待ちしております!!
(ちなみに岐阜の単科は11月11日です!)



 


考える手法③ [課題―読解]

ああ、早く書くって自分でいったのに、もう週末です・・・。
お待ちいただいていた方がいらしたら・・・すみません! 今、書きます!

で、先回の続きです。

家の定義について考える。
それが最初の一歩でしたね。
ドリルでは、定義について尋ねた後に
「ある場合」を設定して問いかけがなされています。

4 引っ越しの経験があるか。あったらそれについて思いを書いてみなさい。
5 人はなぜ引っ越しをするのか 考えてみなさい。
6 自分の家があるのか、自分の家になっていくのか。君はどう思うか。
7 主人公は、引っ越し先が自分の家として納得できなかったり、なじまなかったりしている。なぜか。
8 また、それはどういうことによって自分の家と誇れるようになったか。

ここには

・「ある場合」を取り上げ(ここでは『引っ越し』)考えを深める
・体験素材を用いてみる・・・ケース分析(自分の感覚)
・他者の言動の分析・・・ケース分析(他者の視点)
・変化に注目・・・なにが・どのように・どうなったのか

というような、「考える」ときにすべきことのいくつかが含まれています。

ものごとを読み解く際、抽象だけでなく具体に引っ張り込んでいくことは大切なプロセスです。
その時に一番用いやすいのが、自身の体験。
「自分」という具体的ケースをまずは素材として扱う。
作文を書くときの常套手段ですね。

上記の問いの中で、ぜひ考えてほしいのが5と6です。
5を挙げると、すかさずこんな答えが返ってきます。

「お父さんの仕事のつごう。」

ここで終わるということは、彼らがいつも主語を「わたし・小学生」にしているということです。
「わたしはこどもなので、家を選ぶことはない。ついていくだけ。」
そういう視点です。
問いの主語は「人は」になっているのに、
「わたし」を主体としたものの見方しかしていません。
その枠を壊す必要があります。

講義ではいつも「人・時・場」を変えて考えろ、と言います。
君は大きくなって、大学生になっても同じ家に住むの?
一人暮らしをしたいといって、出ていく人もいるよね?
結婚してもずっと同じ家? 家族が増えても同じ家?
職を失っても、豪華な家に住み続けられる?
逆に、成功してものすごく稼ぐようになっても、ワンルームに住む?
家の前に大きな道ができて、排気ガスと騒音に悩まされるようになっても、住み続ける?

それにさ、お父さんの仕事の都合って言うけど、どんな家でもいいのではないよね?
新しい家を、どうやって決めるんだろう。
人は何を求めて、何を基準にして、家を選ぶんだろう。
家の場所・サイズ・見かけって何を表す?
家での生き方・住まい方。みんな同じじゃない。
それって一体、何によって決めていくことになるんだろう・・・?

というようなことを、皆に投げかけます。
人はなぜ引っ越しをするのか、という問いの中には
人は(あなたは)自分の生きる場をどのように選ぶか、
人が(あなたが)生きるために譲れないものとは何だろうか、
という問いかけも隠されています。
つまりものを考えるということは、突き詰めていくと
「あなたは、わたしは、どう生きるか」を考えていくことになるのです。

その問いは、Q6の中にもありますね。
「自分の家があるのか、自分の家になっていくのか」
子どもたちはこの問いを、なんとなくシンとした顔つきで受け止めています。
すぐには答えにくい問いだけど、なんだか大事なことを聞かれた、という顔です。

考える、という行為の中には「すぐに答えを出す」ことは入っていません。
ず~っと考え続けていくべき問いもあります。
一生かけて考えていく「命題」を、皆に持ってほしいと私は思います。
宮川先生もきっと、「すぐにわからなくても、いつかわかればいい」と思って
これらの投げかけをしていると思います。

「いつかわかる」という時限爆弾のような本があるのはいいことですよね。
「すぐに・必ず・わかる」ものばかりに触れていては
思考する体力(耐力)はつかないと思います。


主語を変えて(視点を自分から外して)ものごとを見てみること。
「どう生きるか」を自身に問うことが「考える」ことの大本であること。

教室では折に触れ、伝えています。

 ・・・・・・そして、またもや「続きはまた次回に~!」・・・です。
気長にお付き合いいただけると幸いです。


考える手法② [課題―読解]

いい本というのは、読むたびに新しい発見がある本だと思います。

子どもの頃から私は、赤毛のアンのシリーズを何度も読み返しています。
小学生の頃は、私と同じようにソバカスのあるアンに共感していました。
20代の頃は、教師という仕事に就いたアンに注目して読みました。
(私がこの仕事をしているのは、アンの影響もあるかも?)
今は、アンのご近所さん(おしゃべりまたは偏屈な、40歳をとうに超えたご婦人方)の生きる姿に
愛おしさを感じつつ読んでいます。

新しい発見がいつでもある、ということにおいては
『とっちゃまんの読書感想文書き方ドリル』もまさにそうです。
ブログで何をどう書くかを考えるために、「書き方ドリル」を開いたのですが
「あ、こんな言葉が・・・」と、ついついまた読み込んでしまって
ちっとも前に進みません。

これではいつまでたってもアップできないので、とにかく書いてみます。

この本には最初に、「感想文を書くために大事なこと」として、
いくつかのアドバイスが載せられています。
感想文は何のために書くのか、
どんな視点から書くとよいのか、
どんな流れ(つなぎ言葉)を使って展開するとよいのか、
などについて、いくつかの提案がなされています。
感想文だけでなく、意見文を書く際のヒントにもなります。

その後に、小学生の課題図書それぞれについて、読解のヒントが書かれています。
まずは本に対する宮川先生の読解例が示されます。
「こう見たら?」「こうも考えられるね」と、直接先生に語りかけられているような文体です。
内容は非常に具体的。
今の社会や自分の生活空間に引き込んで考えていきやすくなっています。

次にドリル形式の問いかけ。
子どもたちが考えを深めていけるよう、いくつかの問いが用意されています。
本には、自分の考えを書くための空欄が設けてありますが
問い自体がとても深いものなので、その空欄内には書ききれないでしょうね。
できれば、他の紙に書いてほしいなぁと思います。

さて今回は、記載順とは逆になりますが、ドリル形式の問いから
「考える手法」について、読み解いてみたいと思います。

教室の子たちとは、
118ページにある『ここがわたしのおうちです』に対する問いに取り組みました。
「家」は子どもたちにとって身近なものであり、あるのが当たり前のものです。
家についてなんの経験も持たない人はいないので、
まずはこれから始めました。

問いの1はこうです。
「きみは今の家で生まれたか。きみにとって家とは何か」

ここが、スタートです。
「家とは何か」。大事な問いです。
家は家、改めて考える余地なんてない。
そう思っていることこそ、考えるべきものです。
皆が共通の認識を持っていると信じているものは、実はそうではないのです。
まずはそれに気づくこと。
そして、当たり前だと思っていることを、言葉で定義づけてみること。
それが、考える一歩です。

・住むところ
・家族がいるところ
・たてもの
・うまれたところ
・寝るところ
・食べるところ

このようなことがまずは出てきます。
・・・足りませんね。全然足りない。
家族がいて、食べて寝るなら、ホテルでもいいでしょ?
じゃあ、ホテルが家になるの? 旅行したら、ホテルが家だよね。家って動くんだ。
そんなふうに聞いてみると、違うな、もう少し言わないと、という顔になります。

『家』というものが、何によって定義づけられるか、
この問いはいきなり『家』の根幹に触れるものです。

自分のコップが用意されているところ?
今までの思い出が残してあるところ?
秘密をかくしておけるところ?
「ただいま」と「おかえり」があるところ?
まわりを気にせずに泣けるところ?
ばか!って言っても、明日には仲直りできるところ?
明日を迎えるところ?
朝、同じ風景を見られるところ?
ゆっくりトイレでウンチができるところ?
おかあさんがいるところ?

家が何によって家といえるのか、そこを考えないと
「家」とは何かを知ることはできません。
家をどう定義づけるか、それがスタートです。
そのスタート地点は、人によって違っていいのです。
ですが、自分がいま、どこからどのように見ているのかを自覚しなければ、
他者にどう受け取られるかを考えて書くことはできません。

本のテーマとなっているものを、自分なりの言葉で定義づける。
それが考える最初にすることだと思います。

よって、教室の子たちには、「~とは何か?」と問うことを欠かしたことはありません。
まずは定義を考える。
それが「考える手法」において、最も大切なことです。

ちなみに、問いの2,3は
「逆の質問で、何があったらきみの家と言えるか」
「自分の部屋があるとすれば、なぜそれを自分の部屋だと言えるか」

となっています。
家の定義を深く追及する問いですね。
問1だけでは「決まりきった見方」で終わりやすいので
視点を逆転させて、あるいは限定して、問いが用意されています。
(この流れ、美しい!)

ああ、長くなってしまった。
続きは次回に。
なるだけ早めに書きます・・・。


考える手法① [課題―読解]

読書感想文といえば、夏の宿題。定番となっていますね。
ですが、夏だけ「感想文」に取り組んで、それでいいのかしらん、と思います。
夏に一度取り組んだだけで、本を深く読み解いたり、
考えを述べる力がついたりする・・・わけではありませんよね。

夏だけ取り組むから、
考える手法や、考えたことの表現の仕方を知らないまま取り組むから、
「感想文~? めんどうくさい、きらい!」になってしまうように思います。


毎年の課題図書について、
本のテーマや主人公の行動をどんな切り口で読み解いていけばよいか、
具体例を記した本が出ています。
宮川俊彦先生の『とっちゃまんの読書感想文書き方ドリル』です。
宮川先生の本ばかり紹介しているので、
「またなの~?」とお思いかもしれませんが(すみません)、
この本、読むたびに発見があります。
本に提案されている「ものごとの見方」は、実に含むものが多くて、
中学生以上、いいえ、大人が読んで考えを巡らすべき!と思う内容です。

すごくよい問いかけがなされているのに
子どもたちはたぶん、多くを読み飛ばしてしまうか、
よくわからないまま、本棚にしまいこんでしまうかをしている気がします。
う~ん、もったいない!
何年かのちに、ふと本を開いてまた考えてくれればいいなぁと思いますが
毎年出る本は「消費する本」と思われがち。
「2012年?もう終わっちゃったね、捨てようか」ってことになってしまうのかもしれません。

ああ、もったいない。

ということで、10月はこの「読書感想文ドリル」にある問いかけを用いて
いくつかのクラスで授業をしました。

章ごとについている問いかけは、
「ものごとを考える際に持つべき視点」をも伝えてくれています。
その視点を自らも持つこと、
そして、「よい・悪い」「正しい・間違っている」「得・損」で二分して語るのではなく、
ものごとの本質に迫る力を持つこと、
上記の二つを刺激するのをねらって行いました。

宮川先生にお会いしたとき、あまりにこの本の文章が美しくて深いので
「課題図書の読解より、この『感想文書き方ドリル』の文章読解をやります!」
と、宣言して帰りました。
了承いただけたので、なんの心配もなく、一文一語を切り取って読解しています。

といっても、なんのことやらおわかりになりませんよね。
次のブログで、もう少し具体的にお伝えしようと思います。

「考える手法」は、成人してからも活用できるもの。
いえ、成人してからこそ、力を発揮するものです。
「今だけ」「テストのときだけ」通用するようなコツではなくて
これからもずっと、自分を高める力となるものを
皆といっしょに育てていきたいと思います。

「とっちゃまん」の読書感想文書き方ドリル2012

「とっちゃまん」の読書感想文書き方ドリル2012

  • 作者: 宮川 俊彦
  • 出版社/メーカー: ディスカヴァー・トゥエンティワン
  • 発売日: 2012/07/14
  • メディア: 単行本



うらしま [課題―読解]

うらしまたろうを読み解いていると、やはり「玉手箱」が問題になってくる。

玉手箱に入っているのは「時」。
竜王の子として竜宮に住むのであれば、太郎は時と無縁に生きることができたが
地上に戻り人として暮らすのならば、時の中で生きるしかない。

乙姫は玉手箱に太郎の「時」を封じ込めて渡す。
「あけてはいけない」という呪文とともに。
どんな思いで渡したのか。
なぜまじないをかけたのか。言えばよけいに気になってしまうのに。
そこを中心に述べる人が多かった。

あとは、なぜ竜宮から地上に戻ったか、という点。
なに不自由ない生活を捨てて、苦しい現実に戻ったのはなぜか。
「不足がない」ことが生きるのに足りないから、という視点があった。
「自分が誰かに必要とされているという実感」を理由に挙げた人も。

「どう生きるか」、それを語る読解が多かった。



ところで、「うらしまたろう」を読み解いていて、こんな「もしも」があった。

主人公が「浦島太郎」ではなく、「浦島花子」で、
竜宮には「乙彦」さんという、それはそれはかっこよくてやさしい男の人がいたとしたら
花子さんは地上に帰るだろうか、という「もしも」だ。

中学生女子は口をそろえて「帰らない」と言った(後で撤回した人もいるけど)。

男子は「花子だったら帰らないかもしれないけど、
太郎だったら、あんまりよくしてもらいすぎると、なんかあやしいから帰る」と言った。


こんな違いがおもしろい。

それならこんな「もしも」もある。
乙彦なら、玉手箱を渡すだろうか?
乙姫とは違って乙彦なら、玉手箱を渡すような手間はかけないかもしれない・・・?


話の構造をかえて考えてみると、
これまでになかった視点に気付くことがある。

「違い」は扉だ。
なぜ違うのか、何が違いを生むのか、考えていくと「人」が見えてくる。

答えを出すのではない。
わかることだけを書くのではない。
わかろうとして、考えの道筋を刻みながら、書く。
それが教室での「書く」ということ。


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